~「序文1」よりつづく~
このように、京伝は江戸文学の大家にして、また江戸文学を栄えさせた大功労者であった。江戸文学は正に京伝が現れてその光彩を放ち、世に広がったといえる。しかも、京伝は多才多芸の人で、浮世絵も上手く、狂歌も上手く、考古の調査や雑学にも詳しく、しかも利殖の道にも敏感な人物であった。そういうことで、このような文豪、このような芸術家、このような偉人の全伝を公にすることは、わが国の軟文学の歴史を研究する学者はもちろん、浮世絵を愛し、狂歌を好み、雑学に興味がある学者らの参考資料となると信じている。これらが私(※外骨)が自ら進んで本書(※『山東京伝』)の編纂に着手した理由である。
さて、本書を編纂するにあたって、元々世の中に出回っている参考書を捜索すると、戯作者としての京伝を紹介するものには、曲亭馬琴の『岩伝毛之記(いわでものき)』及び『江戸作者部類』があった。岩本活東子の「戯作六家撰」もあり、作者不明の『山東京伝一代記』もあった。浮世絵師としての北尾政演(※山東京伝の絵師ネーム)についてはただ『浮世絵類考』にわずか数行の記載のみだった。狂歌師としての京伝は、どこにも記述がなかった。そこで、私は一心に、京伝の著作物でこれまでの伝記書の中には見えなかった資料を蒐集しようと思い、短い月日ながら約2カ月の昼夜、専心専意に探し回る努力をした。元々、浅学非才の者、雑になるのは免れないが、私の2カ月の努力と熱心さは、必ず読者に認められるところがあるだろうと自ら信じている。
京伝の人生を紹介するものとして、比較的、最も精細を極めているのは、馬琴の『岩伝毛之記』である。馬琴は京伝と師弟のような関係性があった者で、他人が知らない事実も直接見聞きしていると思うので、その記述は信用するに足りるものとせざるえず、本伝はこの『岩伝毛之記』から主に引用した。しかし、(この書物には)たびたび、京伝を貶めて、馬琴自らを揚げようとしているところがある。これに関しては、(外骨が)一々批判の意見を付記して、読者が誤解しないようにする。

宮武外骨は、序文の欄外で、曲亭馬琴に対して辛辣な批評をしています。「両者(※京伝と馬琴)の著作を比較すると、大文豪の曲亭馬琴を如何に弁護する人がいても、自分(※外骨)は馬琴を『京伝の尻ねぶり也』と断言することに躊躇しない。後章を読んでその当否の判定をしてほしい」と書いています。明治~大正のジャーナリストで、様々な新聞、書物を編集し出版してきた宮武外骨ですが、江戸文学については、山東京伝に対する評価がダントツで高いですね。