直前まで草双紙作成

~『岩伝毛之記』より~(※曲亭馬琴による山東京伝の伝記)
文化十一年(1814年)京伝は『骨董集』の中編を書こうと思い、諸々の書物を借り続けた。しかし、このころより、歩行すると少しの痛みがあったので自宅にいるようにした。翌年(1815年)の夏頃に、(痛みが)少し良くなったので、これよりあちらこちらと散歩するために友人宅を訪問した。(文化)十三年丙子(1816年)の秋、(弟の)京山が母屋の向いに書斎を造ったので、新書斎(のお披露目会)を開くので、九月七日の夕方、兄京伝を招待して、真顔(※鹿津部真顔)と静石(※人物名不明)も呼んだ。この日、京伝は来年春に出版の草双紙を書いていて初更(※午後7時~9時頃)までかかった。京山の使いがたびたび来たので、ついに書くのをやめて、その家(※京山宅)を訪問した。(京伝宅と京山宅は)わずかに二丁(※218.2m)ほどの距離だった。

脚気による胸痛で倒れる

(友人の)真顔や静石などと清談し、かつ昔話などして酒食はいつものように食べて、三更(※午後11時~午前0時)になったので(京山宅を)辞して自宅に帰ろうとした。真顔は脚の痛みがあるので、(京伝は)先だって帰ることにした。京伝は静石と共に京山の書斎を出て、1丁(※109.1m)ほどの距離で急に胸が痛いと言って進まなかった。静石が驚いて(京伝の)下駄を脱がして、助けながらその家に(京伝宅に)送った。深夜であったので(静石は)帰った。(妻の)百合は驚き心配して介抱し、急いで召使いを(京山宅へ)向かわせて京山へ伝えた。京山も走って(京伝宅に)来て百合と共に(京伝へ)薬を勧め、(京山)自ら隣町の医者を迎えて診察させた。医者の話では、脚気が原因で救うことができないとのこと。(医者へ)強いて治療を求めたら、(医者は)一包みの薬を調剤し灸の治療をして去った。鍼灸の効果があったのか(京伝が)トイレに行きたいと言ったので、(百合らが)助けて(京伝を)起こした。便が出たと聞いて、また助けて(京伝を)室内に連れていき、寝床に寝かせたら呼吸が急に荒くなり言葉がでなくなった。四更(※午前1時~2時)になって、とうとう(京伝が)亡くなった。年齢は五十六歳。翌日の未の時(※午後2時)に、両国にある回向院の無縁寺に葬送した。法名は「智誉京伝信士」、この日に棺を送ったのは蜀山人(※大田南畝)、狂歌堂真顔、静石針金、烏亭焉馬、曲亭馬琴及び北庵、紅翠斎(※北尾重政)、歌川豊国、勝川春亭、歌川豊清、歌川国貞など(※狂歌師、戯作者、浮世絵師ら)およそ弔問客は百余人だった。

編者、宮武外骨の補遺(本文)

この葬式の弔問客中に、曲亭馬琴の名前があることはおかしい。京山著の『蜘蛛の糸巻』には、「家兄(※京伝)が死亡した時、馬琴にも知らせたが、寺には息子の宗伯を名代にして、馬琴自らは来なかった。旧友では、蜀山人翁まで来られたが、馬琴が来られない理由を(息子の)宗伯に尋ねたら、病気ではないとのことだった。初七日の仏事の時も書面で馬琴を招いたが、仏前への少しの供え物の使いだけで、その後は、亡き兄の追悼にも来なかった。書状で尋ねても音信不通だった」云々と記していた。なお、別のページでは、「恩師の葬送にも来ないとは義理なし、倫理なし」云々と(京山が)記していた。馬琴の弁護者は、葬送に行かなかったのは、師恩を忘れたのではない、生意気でうっとうしい京山の顔を見るのが嫌だったという理由を言っている。その理由はともかく、会葬しなかったことは事実なので、(引用)文のように、自分の名前を加えるのは、いささか良心に恥じるところがあったためだろうか。

編者、宮武外骨の補遺(欄外)

●犬猿の馬琴と京山
恩師の京伝すらケチをつけようとした馬琴のことなので、その弟の京山を侮辱したことは推察できる。京山は、兄を笠に着て威張っていた結果、両人の間は犬猿のように反目し、よってことごとく、互いに悪口を言い合いするようになった。

ウオッチドッグ記者の感想

山東京伝の弟の京山と曲亭馬琴は仲が悪かったようですね。同年代でどちらも京伝の弟子のような立場。馬琴は若かりし頃、京伝宅に居候していた時期もあったので、何か仲たがいの要因があったんでしょうか?
京伝と京山の自宅が近く、日ごろから行き来していたようですね。兄弟仲は良かったのでしょう。
京伝が亡くなった経緯を馬琴は葬式に出ていないので、直接は聞いていないようですが、当日の様子の描写が細かいです。名代として参列させた息子か知人から聞いたのでしょうか?
参列者は、狂歌師や浮世絵師、戯作者など、後の世に文化面で影響を及ぼした人物がずらり。特に、大田南畝は狂歌の大御所。京伝が亡くなった時は、大田南畝は67歳。京伝の浮世絵の師匠であった北尾重政も参列。北尾重政は77歳。両人とも、弟子で才能ある京伝に先立たれた悲しみが深かったんでしょうね。老体に鞭打ちながら参列していた様子が想像できます。

開閉 【人名の注釈】
【編者、宮武外骨についての注釈】